地球温暖化問題という言葉はよく聞くけれども、どんな問題なのか?なぜ起きているのか?という部分を数回に分けてわかりやすく掘り下げていくシリーズ。
第1回の前回の投稿では、温暖化問題の主要因である温室効果ガスというものにフォーカスしました。
今回は、温室効果ガスの排出が原因なのはわかったけど、そもそもなんでそんなに排出されるようになったのか?その背景を人類の歴史から見て行きたいと思います。
きっかけは産業革命
産業革命とは、18世紀後半から19世紀にかけてイギリスで起きた機械の発明や蒸気機関などの石炭利用における技術とエネルギーの革新のことを指しています。
(例.蒸気機関車や紡績工場など)
このエネルギーの革新は、それまで人類の主要なエネルギーが森林資源(薪や木炭など)から化石エネルギー(石炭・石油)への転換されたことを指します。
産業革命によって、綿工業を皮切りに、生産が機械化され、大量生産が可能になりました。
大量生産には、それに伴って大量の原料とエネルギーが必要になります。
原料は、この頃は西欧諸国の植民地政策によって、インドの紅茶に代表されるように植民地から多くの原料を調達していました。このため、大量生産に耐えうる原料が供給することが出来るようになっていました。
エネルギーについては、薪や木炭など従来使われていた森林資源では、消費のスピードが早すぎて、自然の植生の回復が間に合わなくなってしまいます。(日本を含めて、中世はハゲ山が多かった。)ここで、19世紀の石炭・20世紀の石油に代表される化石燃料が、主要なエネルギー源として登場します。
植民地からの原料調達と化石燃料の消費によって、大量生産が可能になり、同時に大量の温室効果ガスが大気に放出されるような産業構造が生まれました。
前回のテーマで温暖化の原因は、大気中の温室効果ガス(特に二酸化炭素)であることを説明しました。
その温室効果ガスが大量に排出されるようになったのは、このような現代社会にも繋がる産業革命による社会構造の変化が起こったことが大きな要因だといえます。
ここで、その社会構造の変化について、もう少し見ていきましょう。
産業革命による社会構造の変化
都市化
産業革命によって、西ヨーロッパを中心に社会が急速に農業を中心とした社会から現代の社会構造につながる機械などによって大量生産される工業社会へと構造が変化していくことになります。
そうすると、大量生産の現場である工場には労働力である人手が大量に必要になります。そのような背景から、農村にいる人たちの中から都市に移住する人たちが多く現れます。(労働者階級の誕生)
労働者階級が消費者へ
当初は、富裕層に向けに作られていた製品ですが、社会が経済的に豊かになっていくことで、労働者も豊かになっていきいわゆる中間層と呼ばれる存在が出現します。
それによって、これまでは生産側の一部であって労働者が、同時に消費者へとなっていきます。
これが現代の大衆社会、大量生産・大量消費の原型となったといえます。
温暖化に拍車をかける人口増加
産業革命による社会構造の変革によって、物質的な豊かさや便利さを獲得する代わりに、CO2の排出という観点で考えると大量に排出する社会になりました。
ここで、もう一つ考えなければ行けないのが、人口という視点です。特に20世紀から経済発展と医療技術の発達によって、一人当たりの排出が増加すると同時に人口が爆発的に増加しました。人口の増加は、温暖化にさらに拍車をかけます。
産業革命の頃(1850年)の人口は、約13億人でした。そこから、1950年までの100年で人口は倍増し、さらに20世紀後半の50年で倍以上の61億人まで人口は激増しています。
グラフを見ると、産業革命以降に世界の人口が一気に増加したのが分かります。今も世界は人口が増加をしており、2050年には90億人を超えると予測されています。
仮に今後一人あたりのCO2の排出量が増えなかったとしても、人口増加によって化石燃料を消費する母数が大きくなるため、総量としての温室効果ガスの排出量は増加します。
化石燃料を大量に消費する社会構造の問題と人口増加の問題、この2つの問題が絡み合っていることがより温暖化問題を難しいものにしています。そして、どちらの観点でも、未だ人類の温室効果ガスの排出量を削減する糸口が見えていないのが現状です。
だからこそ、まず一人ひとりが漠然とした温暖化という言葉ではなく、どのような状況なのかをちゃんと知ることが大切だと僕は思っています。