スタジオジブリのプロデューサー、鈴木敏夫と禅僧の対談をテーマごとに編集してまとめた一冊だ。
本著の帯には、こう書かれている。
社会の成熟、情報の増大、価値観の多様化によって、自分の生き方について考え、悩みを抱える人が増える時代になった。また、クリエイティブな人間はよりその自分の能力を活かすために、自分自身のフィジカルやメンタルのケアを入念にするようになった。
その結果、心を整える。マインドフルネスの注目とともに、禅というものにも注目が集まっているのが昨今の禅ブームだ。
僕は、宗教としての禅に興味はないが、3年くらい前からマインドフルネスの観点で朝、坐禅を取り入れていて、考え方や姿勢には興味があった。
また、スタジオジブリの作品の熱狂的なファンではないが、鈴木敏夫という人には興味を持っていて、ラジオも良く聞いていた。
そんなこともあり、禅と鈴木敏夫の掛け合わせは、僕にとってドストライクなテーマだけに本屋でひと目見た瞬間に衝動買いしてしまった。
読んだ後の印象は、頭で禅の勉強をするというより、なんとなくすーっと自分の中に入ってくるようなイメージの本だ。知識や言いたいことが、がっつりというよりはどことなく余白を感じさせるようで、そこも禅っぽさを思わせる。
はっきりと目には見えないが、あえて余白や行間を大事にする作り手の細やかな意図が感じられる。
ぜひ、読んで全体的な良さを感じてほしいが、参考までに僕の中で良いな〜と思った部分をピンポイントで紹介していきたい。
今を大事にするということ
よく理想と現実のギャップに悩むということが、ある。これをなぜか?と考えてみると、自分の現実・今をはっきり見えていないからそのギャップに悩むのではないかと思う。
鈴木Pは、「自分を見失いそう」言うジブリを辞めたい人にいつも、
と言っていたらしい。
僕は、理想の自分を持つことは自分の成長につながると思うので、目の前だけを見ろとまでは思わないが、理想を持つのと同時に今の自分自身をちゃんと知ることが大事だ。
ただ、それは考えているだけでは答えが出ないこともある。行動して、経験をすることによって、自分の考え方が整理されていくこともある。
先ではなくもっと目の前のことを大事にする。
確かに考える間もないくらい何かに集中して取り組むと、それが自分の望む仕事かどうかは置いておいて、後で思うと自分の身になっていると感じることは多く、気づいたら自分自身が成長しているといったことは確かにある。
今は情報過多の時代だから、より人を惑わせる情報が多く、それが人を足踏みさせやすい。だからこそ、逆に目の前にことに集中するということの重要性が増していると思う。
現代人は、何かと悩みすぎなのだろう。
人は矛盾を抱えて生きている
本著では、飛行機への憧憬と戦争反対という矛盾を宮崎駿の内面について触れている。宮崎駿は、戦争を経験しているため、子どもの頃に感じた飛行機や戦車などの兵器への憧れがある一方で、戦争には反対。その矛盾の中で生きてきた人だと。
日本には、かならず対になる意味の言葉があるらしい。
これは、中国の両行(りょうこう)という対立するもの両方をそのまま生かしておくと、必ず何かが生まれてくるという考え方が、日本人の思想のベースにあるということらしい。
これは現代で言えば、まさに多様性(ダイバシティ)のことを捉えていると、僕は感じた。
政治や経営者は、口々には多様性の重視と言っているが、実際には多様性が尊重されずに悩んでいる人は多いはずだ。そんな人の気持を少しほぐしてくれるだろう。
また、自分の中に自己矛盾を抱えて悩んでいる人もそれが人として、何かを生み出すためのことで何ら悪いことではないと思えたら、少し気持ちが楽になれる。
この世の中、捨てたもんじゃない
本著の中で僕が一番ささったのは、この部分だ。ジブリ作品では、背景にこういう作り手のメッセージがある。
僕は、映像や文芸作品を見るときに、救いがあるか?という表現を使うが、ジブリ作品はその救いがある。人間の愚かさに直面しつつも、人が生きること、人そのものへの希望・期待は捨てていない。
宮崎駿は、子供たちに外に出て遊んで欲しいという思いをトトロの作品に込めた。作品のテーマとして全面にメッセージが出てるわけではないが、そんな作り手の思いや優しさが、作品に奥行きや世界観をもたらす。
必ずしも、ヒットと結びつくものではないが、長く愛される作品には、こういう作り手の思いが無意識のレベルでも人を共感させ、引きつけるものがあると思っている。
作品のクオリティが高いせいで、外で遊んでほしいと思っている子どもたちが家でトトロを何度も見ているという話は皮肉だが。。。
背中を強く押すわけではないけど、少し気持ちを前向きにさせてくれる。
そんな存在があると、人は生きてみようと思えると思う。
あとがき
この本の一つ一つの対談は、鈴木敏夫のジブリ汗まみれでも流していた内容だった。
僕は、無駄に記憶力が良いので、一回読んだ内容や聞いた内容は覚えていることが多い。
一章を読んだときは、
なんだ・・・対談内容の本への焼き直しか?
と少しがっかりした。
しかし、後半に読み進めていていくに連れて、点が線になっていき、ストーリーになっていった。それぞれ、一個づつの話を聞くのではなく、本に編集し直すことで作品として成立していく。
僕は作り手に対して一瞬がっかりし、失望した自分の軽薄さを恥じた。